遺品のデジタル化の必要性!
はじめに
令和7年2月6日の京都新聞の凡語を記載いたします。凡語を読んで感じたことを書きました。
年明けにスタートした戦後80年連載「巡り糸」に、読者からの反響が驚くほど多い。特に戦争遺品の行方を巡って、たくさんの便りが寄せられた▶幼子を残して南方に出征したお父さんからの絵はがき、満州で戦ったおじいちゃんの記録集…・。「わが家の宝物を見てもらえませんか」。どれも戦争に翻弄された故人の生きた証しだ。ただ、引き取ってほしいとの申し出は、お断りしている。大切な品の保管に責任を負えないからだ▶家庭に眠る戦争遺品の扱いが問題になっている。博物館や資料館の収蔵庫は満杯状態で、新たな寄贈を抑制する施設も多い▶世代交代が進む中、遺品の来歴を語れない遺族が増えてきた。「遺品が家族の歴史から切り離されたら、誰にとって価値のある資料なのか」。連載で紹介した学芸員の指摘が、さまよう遺品の本質を言い当てる
▶長浜市の神社で「出征絵馬」が大量に見つかり、年末に大半を神事で焼納したところ、市民から疑問の声が上がった▶供養か、平和資料としての保存か。何が正しい選択なのだろう。<串ってくれてありがとう><平和を希求する世が続いてくれれば>。昔烈な時代に生きた先人たちは、両者の行いのどちらにも理解を示すのではないか。過去と現在を結ぶ糸。80年目の始まりに、思いを巡らせた。
以上(凡語より)
遺品によっては、残したいが残す場所が無い、残しても次の世代に迷惑をかけるかも知れない。様々な思いが出てくると思います。その為にも、遺品をデジタルして残すのも手段の一つかと思いました。
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